海辺に唯一、残った建物はこのモスクでした。
ご覧のとおり、壁は抜け落ちてますが。
住民の方いわく、
「このモスクの屋根につかまった人は、救かったんだ。
このモスクが残った事を、みんなは奇跡だと言ってるよ。」と。
私が調査した短時間の間にも、
ここにお祈りに来る方は跡をたたないようでした。


2月の初めには、まだ仮設住宅ができていなかった為、
被災された皆さんは避難民キャンプで暮らしていました。
避難民キャンプは、安全の為、海岸から離れた山よりに
作られていました。


写真  笑顔で応えてくれる
避難民キャンプで、外国人である私を見て、笑いかけてくれた家族。
・・・といっても、ここアチェの方々は、こんな大災害の直後にも
かかわらず、礼儀正しく、笑顔で、質問にもしっかりと
丁寧に答えて下さる。
(今回カメラ取材が目的やった為)
カメラを向けさせてもらっても、しっかりと、
津波被害や、ご自身の状況について的確に
目を見て話してくださる。
「家族が見つからない。」辛いであろうに・・
出会った日本人の新聞記者の方がおっしゃってました。
「なぜ、俺のインタビューを誰も断らないんだ!!!」
私も、全く同じ事を思いました。一人として私を無視したり、
カメラを制止するしぐさも、一切なく、言うなれば
「全て受け容れている様子」で微笑んで下さるのです。
皆さん、信じられますか?
私は正直今でも信じられないような思いでいます。
小さな子供から、おじいさんの口から、、
たくさん、たくさん、耳にした言葉・・・
それは「全て起こってくる事は意味のある事。
アッラーの神が私達を試してる。」というイスラムの教え。
確かに家族を亡くしたばかりの子が話すには、
出来すぎた言葉だ。
一生懸命自分に言い聞かせているようにも聞こえて、
こちらがぎゅっと、せつなくなる。
でも、その笑顔は、まっすぐで強い意志を表していて、
とても健気に感じた。
神様を信じる。
こんなにも強く。
目の前の大惨事にも、揺らがないように、人生を賭けて。
私はアチェの皆さんが下さった微笑みを、
一生忘れられないです。
人はこんなにも強くなれる。人の尊さを知りました。
アチェの方々との出逢いに、心から感謝しました。


写真  「現地のボランティア達」
インドネシア・メダンにあるNGO、「KKSP」のスタッフ達。
10数人で汗をかきながら、一生懸命、
笑顔を交し合いながら、トラック一杯に支援物資を
積み込んでいく様子をカメラに撮らせて下さった。
物資の内容は米・豆・ミルク・衣服・鍋・魚の干物等・・
このトラックは一晩かけてドライブし、
被害が甚大だった海辺に運ぶ事を
繰り返しているそうだ。
「たすけあうのは、当たり前。」皆さんの瞳は輝いていた。


このインドネシア・アチェ州では、
約30年の間 インドネシア政府と
武装組織「自由アチェ運動(GAM)」の争いが続いていた。
政府は、アチェに政府軍を大量に投入し、
(約4万人といわれている)
なんと、外国人が入る事を厳しく制限してきた。
その為、外側からは、何が起こっているのか
分からない状態が続いていた。

そこに2004年12月、スマトラ沖地震・津波発生。
政府は国際援助を受ける為、アチェを開放。
国際機関、ジャーナリスト、NGOが
こぞって入国を果たした。
皮肉にも、津波は閉ざされていたアチェへの扉を開いた。

上記の写真の親娘は、語った。
おばあちゃんの息子さん(右側の女性のお兄さん)は、
津波では助かったが、なんと津波発生5日後に、
何者かによって銃で撃たれ、亡くなったそう。(!!)
息子さんは、インドネシア国軍だった。
「もう戦争はやめて、協力しあって国を作っていきなさい・・・
神はそう言っているのだと思います。
この津波は神からの警告です。」
目に涙を浮かべ、
堂々と語る口調は、大変力がこもっていて、
私達の胸にずしり、と落ちてきた。
通訳のアディーも、泣きながら通訳していた。

ひとつの命から、
争いから、
悲しみから、まなぶ事。
世界はまだまだ、これを繰り返すのかな?

もう私達は、気づこう。
悲しい出来事から学ぶ事は、もう
終わりにしよう。

微笑みから、
美から、
愛から、まなぶ為に
愛を興そう、あなたから。
隣人の涙に、まなぼう。