雑用侍・笑い続ける女・遠藤恵里
【イランの出発に向けて】
出発前まで、少しでも現地の状況を知る為、私達『雑用侍』は震災についての情報を交換し合っていました。
● 砂漠の中、2000年を生き長らえてきたバム城壁を中心とし、バムの町が集中的にほぼ全壊した。
● 日干しレンガを積み重ねて作った被災地の家々は、朝早くに発生したこの地震でもろくも崩れ、多くの人がレンガの下敷きになった。崩れたレンガが泥となり、その瓦礫の中で窒息して亡くなる人もいた。
● 周辺の町にテントキャンプが12箇所設置され、約1400家族(6500人)がそこで生活を始めている。75000人がホームレスになっている。
● 両親を失った子供が1800人、片親を亡くした子供が5000人もいる。
● 地震を生き延びはしたが、郊外に非難することが出来なかった住民は、崩れた家の前で過酷なテント生活を送っている。
● 乾燥しているうえ埃っぽく、風邪や気管支炎など呼吸器系疾病を患う人が多い。
● 精神的なショックによる症状(うつ病・不眠症・不安障害)を訴える被災者も多い。
● 3月になると気温が40℃〜50℃にもなるらしく、砂嵐・サソリ・毒蛇の被害等も出てきて、マラリア・コレラ・赤痢等の伝染病の被害も出てくる可能性があり、監視と治療体制を更に充実させる必要がある。
● 暑くなる前の急速な仮設住宅の建設・ほとんど崩壊した都市をどう復興させるか・ナツメヤシなど地場産業の復興が課題・・・
など、相当息の長い支援が必要とされる。
深刻な状況を山ほど抱える被災地・・・。
情報を交わす中、『私達が出来ることは何か?』を考えました。
医療面での支援は出来ない、NGO団体でもない私達が出来ること???
出来るかもしれないことがありました!
それは、親を亡くした子供達のフォローです。
"子供達といっぱい遊ぼう""いっぱい笑顔を増やそう""一時的に悲しみを忘れるだけになってしまうかも知れないけど、自分達がやれることを精一杯やろう!"そんなことを掲げたのでした。
あとは、やっぱり雑用です。
出発が近づく1月下旬・・・『マフラーは300本以上集まっている。
募金も50万円は集まるだろう。』との事。
てんつくマンからも『出発まで残り10日。
掲示板などを通し、どんどん盛り上げていこう!感謝の気持ちを伝えていこう!自分が出来る事をしていこう!』の声が掛かり、雑用侍一人一人がそれぞれの地で動いたのでした。
出発当日。
集まったマフラーの数・・・何と!1000本以上!!そして募金は・・・140万円以上!!本当に心から感動!!こうして、感謝の気持ちで胸一杯な雑用侍10名は、沢山の想いが詰まったマフラーと募金を手にイランへと向かったのです。
【被災地・バムへ・・・】
★ 1日目。
日本からイランの首都テヘランまでは飛行機で約12時間(時差5時間30分)。テヘランへは夜中到着し、1泊する。
★ 2日目。テヘランから南東に位置するケルマーンへ移動(飛行機で2時間30分)。
被災地・バムからは、陸路で3時間ほど離れた町(195q)。
お昼過ぎに到着した為、その日はケルーマンで待機となる。
★ 3日目〜。
私達は、ミニバスに乗り込みケルーマンから3時間かけて被災地・バムへ向かう。
一本道をひたすら南へ・・・。
周りは山と砂漠のみ。
まだ実感がない私達は壮大な光景に見とれていた。
通訳のレゾさんが『もうそろそろバムだ』という辺りから徐々にテントが見えてくる。
砂漠と一体化した色合いの土地に白いテントが張られていた。
道を進むにつれテントの数も増す。
バム到着。
車通りも激しく、人も栄えているかの様に見える街・・・
。雲一つない青空の下、建物は無残にも崩れ去り、元ある街の面影はない。
震災から約一ヶ月。
80%〜90%の建物が崩壊したというバムの街・・・。
道の傍らにはテントと木立のみが連なっていた。
車が走るたびに舞い上がる砂埃。
トラックなんて走ると、目も開けていられない程。
呼吸器系の病気が流行るのも無理ない状況だった・・・。
● バムには、"広大な廃墟の迷宮"として知られる『アルゲ・バム(バム城砦)』がある。
イランのどの観光ガイドにも必ず載っている有名な遺跡。ここにも連れて行ってもらった。
高い城壁に囲まれており、そこを登ると全体が一望できるとの事・・・。登った先の"素晴らしい"はずのアルゲ・バムも、ボロボロに崩れ去っていた。
● お墓参り・・・。
この震災で亡くなった人の数・・・約42000人。
バムにある墓地は2ヶ所。墓地に着くなり、私達は言葉を失った。まるでお祭りでもあるかの様に人が溢れ、その光景はどこまでも、どこまでも、どこまでも果てしなく続いていた。
一瞬、頭の中が真っ白になり、次の瞬間涙が止めどなく流れた。
改めて、震災の怖さを実感した・・・。
大声で泣き叫ぶ人、お祈りを口にしながら涙を流す人、抱き合いながら泣き続ける人、お墓をじっと見続ける人・・・。
本当に本当に、沢山の人がお墓の前で泣いていた。
遺族の人の気持ちが痛いほど伝わり、私達も手を合わせ共に泣いた・・・
。勿論、墓地全体が悲しみに溢れかえってはいたけれど、同時に愛の底知れぬ深さを感じる場所でもあったと思う。
【募金の使い道】
全面的にバックアップしてくれることになった"赤新月社"からの情報として、今一番求められているのは『水』との事。
次に必要とされるのが『生活用品』。
という訳で・・・まずは、生活用品といわれる物をリストアップしてもらい、購入することになった。
● 生活用品一式
@男性用下着1400着・女性用下着1400着・子供用下着2800着 Aティッシュ1400箱 B生理用ナプキン2100個 C食器洗い用洗剤700本 D石鹸2100個 Eタオル2100枚 F歯ブラシ2800本 G歯磨き粉700個 Hサンダル2000足 I洗濯用洗剤700箱 Jシャンプー700本 Kロープ
以上、@〜K(1ヶから3ヶずつ)を1セットとし、700セット作る。
赤新月社から頂いたダンボールに一日がかりで詰めた。
ここで侍パワー発揮!
ありがたいことに、赤新月社の皆さんをはじめ、通訳のレゾさん・運転手のアリさんまで手伝ってくれた。
● 文房具セット
@ノート2冊 Aミニノート1冊 B鉛筆2本 Cボールペン1本 D消しゴム1個
生活用品を箱詰めした夜は、ホテルの部屋で子供達に渡す文房具セット@〜Dを1セットとし、1000セット分を2時間かけて袋詰めした。
●その他
@フラフープ Aミニサッカーゲーム Bミニバスケットゲーム Cバトミントンセット D積み木 E輪投げ F絵本 Gサッカーボール Hバレーボール I腕時計 J画用紙 K絵の具 Lクレヨン M色鉛筆 N定規 O鉛筆削り Pテレビ・・・など。
それぞれの品物を多数ずつ購入し、140万円の募金は全て遣い果たす。
大型トラック1台分。
【支援物資・マフラーの行き先】
赤新月社との話し合いの中、色々と変更することもあり、全てを自分達の手で渡すことは出来なかった。
最初の話し合いとは裏腹な内容も多く戸惑う一面もあったが、一部のマフラーは赤新月社の人が子供達に渡す間に入り、雑用侍から子供達の手に渡すことが出来た。
子供のみならずおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんの手にも渡っていった。
支援物資は一切自分達の手で配ることは出来なかったが、配布する場に一緒に行き手渡されていることは確認出来た。
最後に行ったキャンプは、京都の辰ちゃんがデジカメを失くして見つかった場所。
ここでは、現場の人の了解が得られ、マフラーを確実に手渡しすることが出来た。
その他のおもちゃ等は、赤新月社の子供担当の方に託してきたので、今頃その全てが子供達に使われていることを信じようと思う。
【帰路】
テヘランから日本に向かおうとする飛行機がエンジントラブルの為、乗り込んだ機内で2時間以上待ちぼうけ・・・。
そんな中、同乗していたイラン人夫婦に声を掛けられた。
幸い、行きの飛行機でてんつくマンが友達になった日本語の達者なイラン人も同乗しており通訳してくれる。
『あなたがイランに来た目的は何ですか?』と尋ねられたので、手元にあったデジカメの画像を見せながらバムに支援をしに来たことを伝えた。
レインボーマフラーの事、集まった募金で支援物資を購入し自分達で箱詰めしたことなどを話すと
『少しでも自分達の手で渡せた事が素晴らしい。私達も僅かではあるがバムに支援した。しかし、本当に必要とする人の手元に行ったかどうかは分からない。海外からの支援もそうだが、お金にせよ物資にせよ政府を通すと確実に支援に回されたかどうかは見えない部分が多い。だから、あなた達のしたことは本当に意味のあることです。ありがとう。』
と話してくれた。
【最後に・・・】
まだまだ話しきれないことがいっぱいあります。
それだけ、内容の濃い充実した10日間でした。
来る時間、来る時間、全てが学びでした。
今回の経験を通し、間接的に得る情報ばかりに頼るのではなく『自らが実際に体験すること』がいかに大きなことであるかを改めて実感しています。
震災の恐ろしさも被災地を訪れていなければ知ることはなかった・・・。
身近で起こったとしても自分の身に降り掛かることがない限り、今までの自分なら何かを感じて想っても動いてはいなかった様に思います。
人の悲しみや愛の深さ、温かさ、笑顔の素晴らしさ、楽しむ気持ち・・・『心』は、国や人種・言葉や信仰が違ったとしても繋がることも知りました。
雑用侍10人・・・。
今回の経験から学び得た考えや想い、表現の仕方も十色だと思います。
私達それぞれから発信していくこと、そこから何かを感じ想い『動き出すきっかけ』となりましたら幸いです。
最後に・・・
このような貴重な経験が出来たのも、マフラーや募金をお寄せ下さった皆様、応援して下さった皆様のお陰だと心から感謝しています。
本当に本当にありがとうございました。 |
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