カテゴリー名: 南浜ひまわりプロジェクト

南浜をみつめて

最初に南浜を見た時の事は良く憶えている。

 

 

 

 

 

 

基礎だけを残して倒壊した家屋、無造作に積み上げられた生活の跡。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

流れ着いた流木や燃え残った火事の跡。小雨の降る中で向日葵の種を植える為地面を耕すめ組のメンバー達。
震災から1年以上経って瓦礫は無くなっている筈なのに。薄暗いその場で作業をする風景は自然に対する無力さを強烈に自分の中に植えつけていた。
ここに向日葵は咲くのだろうか。向日葵だけじゃない。緑の景色が見えるのだろうか、と。
その時は、その後数ヶ月間もこの土地に関わるとは思っても見なかった。

 

 

 

 

 

最初に鍬を入れた時。基礎だけになった家の跡。種を植えられる場所。

今回の地震がこの土地の自然にどれ程のダメージを与えてきたのかを知った。土を起こすたびにあらゆる物が溢れ出てくる。ここで暮らした人達の跡。食器、電化製品、衣服や住宅材料。
でも、生き物の気配を見付ける事が出来なかった。
それは虫であったり、鳥だったり、動物だったり、普通にどこにでも居ると思っていた命達。
ただ、少しの雑草と呼ばれる草達を除いて。
土地を耕していても満足な土さえ無い。あるのはヘドロにまみれた泥のような物。
震災の被害を人の目線で見るのは当たり前で、ボランティアに来ている以上人の助けになりたいと思って来ている訳でそれ以外の事に目を向ける必要は無い。と思ってもこの南浜のダメージを見ると人が自然に対して行ってきたあらゆる行為がどれほど深刻であるか。思い知らされた。

 

 

 

 

 

種を蒔きながら諦めに近い感覚を持っていたのも事実です。
それでも、耕す事を止める訳にはいかない。ここで暮らしていた人達に良い思い出へのきっかけ作りのお手伝いがしたいのだから。

 

 

 

 

 

 

毎日毎日、瓦礫を撤去してひたすら耕しました。土から出てくる色々な物や状況に衝撃を受けた事も1度や2度ではなかったと思います。手を合わせながらの作業もありました。1日怪我も事故も無く終われた事が嬉しくて、徐々に心が麻痺して何も感じなくなって行く事が悲しくて。うまく感情をコントロールしていかないと心がカサカサに乾いていきそうで。毎日、自分と向き合う事をしない日々でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耕した土地は劣悪な環境の所ばかりでした。土の表面に油が浮いている所やヘドロで被われ雑草すらも生えない場所。地面にあらゆる物が封じ込められている。と言った状態でした。

 

 

 

 

 

 

 

種からの発芽、定着率の悪さがそれを物語っていました。その中には植え方の悪さもあるとは思いますが。

 

 

 

 

 

種植えを2ヶ月間続けました。が、発芽率の悪さから苗植えに変更せざるをえませんでした。

しかし、根本の処では何も解決しては居ません。苗の定着率も悪く2度3度と植える場所もありました。
それでも一番最初に植えた種から芽も出始めていたのが救いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初にミミズを見かけたのは6月の中旬だったと思います。耕し始めて3週間以上たった時でした。
あの時の喜びは忘れません。たった1匹でしたが皆に報告をしました。
結果的にミミズを見かけたのはその後の1回を含めて2回だけでしたが、それでも土が再生し始めている事の証と思えば嬉しい限りでした。

6月の頃から生き物の気配を感じる事が多くなりました。それも虫たちが戻ってき始めているからなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

雲雀の鳴き声をうるさい。と感じられるのも幸せな事だと今にして思います。

鷺は冠水のよって溜まった水に居ついた魚が目当ての様で2種数羽が居ついてしまいました。
誰も居ない南浜を湿原に見立てて、朝晩水場を物色していました。
3羽の鷲は瓦礫の中に住む鼠を狙って常に町内の空を旋回する日々。
瓦礫しか残らない南浜にいて皮肉にもこんなに命が溢れているなんて。
そして、この悲惨な状況の中でほんの一瞬でも心和む自分が居る。

 

 

 

 

 

命ってタフなんだ。と心底思いました。
この土地は蘇ろうとしている。と。

 

 

 

 

 

7月に入って早朝・夕方の散水作業が日課になりました。

芽を出し始めた向日葵にとって塩害、有害物質の溜まった土は厳しい。腐葉土をあげられないのならせめて水だけでも。

 

 

 

 

 

それでも、130軒のお宅総てを毎日廻る事は出来ません。2~4日に1回の水撒きで乾いた南浜で命を繋ぐ花達。
散水の効果も無く向日葵たちが枯れていく場所もありました。硬い砂地で保水力が全くない所。
でも、花達は懸命に生きようとしています。したたかに。

 

 

 

 

 

 

 

最初に花が咲いたのが何時だったか、正確には憶えていません。ただ、その喜びだけは記憶しています。 県道から良く見えるお宅でした。写真を撮りました。

 

 

 

 

 

 

 

その後も至る所で咲き始めました。土質やその他の影響で大きさも咲き方も、花びらの形さえもバラバラで歪な花たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、皆一所懸命に咲いています。見て欲しい。住民の方達に。市民の皆様に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

実際にどれほどの人達が見たのかは分からない。咲いた事でどれだけの人に気持ちの安らぎだったり、癒しを与える事が出来たのか。それすら解らない。そして、本来の目的である住民の心に入り込む事が出来たのか、については全く解らない。

自分がしてきた事は石巻の復興のお手伝いに繋がったのか。については未だに解らない。
人の顔の向こうにある向日葵ばかりを見てきた気がする。

 

 

 

 

 

 

9月下旬、今年最初の種が採れました。南浜で咲いた向日葵の種が。

 

 

 

 

 

 

種を貰って頂きたい。南浜の住人の方達に、石巻の人々に、そして関わりを持った総ての人達に。
そして、その種で花を咲かせてもらいたい。
それが未来に続く希望の様な気がします。

南浜ひまわりPJ~ピンチはチャンスの巻~

どうも、南浜ひまわりPJ実働部隊のかっちゃんです。
南浜ひまわりPJの詳細はこちらのブログをご覧下さい。
http://maketheheaven.com/megumijapan/?p=8151

 

 

現在の進捗状況は、113件中75件完了。
何かですね。
この話を、住民さんにすると勝手に数が増えていくんですね。(笑)
ありがたいことですね~。
6月までに完了する予定なんですが、大丈夫ですかね。

とういう訳で、全国、全世界のみなさん!!!!
一緒にひまわり植えませんか???

企業の皆さん!!!
新人研修などでいかがですか???

今回、このマンパワーが必要なチームの実働リーダーをすることになって、復興支援を行なっている自分達NPO団体のもう1つの役割を自分の中で感じる事ができた。

それは、こっち(石巻)にくるきっかけを作り続けること。
風化が進んでいる今、ボランティアであれ、観光であれ、こっちに来てもらうことは大切なこと。

「人が集る場所に何かが生まれる。」

こっちにきて、自分が大切にしている想い。

さてさて、話は変わりますが。
南浜ひまわりPJ、ピンチはチャンスをむかえております。

塩害で芽が出なかったり。
冠水で芽が出なかったり、出た芽が冠水しちゃったり。

  

鳥さんに芽を食べられてたり。

そんなこんなで、チーム苗☆たんを発足しました!!!

だけど、私達だけでは全然苗が足りなくて。
そこで、ひまわりの苗を大募集します!!!
みなさんが育てた苗を、南浜で咲かせちゃいませんか???

■南浜ひまわりPJ~ピンチはチャンス~
「苗大募集の大作戦!!!」

■ひまわりの苗の種類と苗の状態
☆苗の種類
1.5メートル~2メートルくらいになるひまわりの苗。
一輪咲きや多輪咲きなどの種類は何でもOK!!
☆苗の状態
双葉の次の本葉がでた状態の物。

■送り先
〒987-0362
宮城県登米市豊里町東待井下16
「め組JAPAN チーム☆苗たん」までお願いいたします。

■問合せ
09094088058
(南浜ひまわりPJ実働部隊リーダーかっちゃん(桝谷和子))
 

1人の100歩より100人の1歩

こんにちは。Youth35期のえみりです。

1週間という短い期間でしたが、参加させていただきました。

私が今回参加しようと思ったのは、インターネットで見た「1人の100歩より100人の1歩。」というめ組の言葉に共感し、微力ながら役に立ちたいと思ったからです。また、2011年11月に他団体から気仙沼市で瓦礫撤去などの活動に参加し、もう一度宮城に行きたいという強い思いがありました。

 

 め組の一員として、滞在中は様々な活動をさせていただきました。例えば、ひまわりプロジェクトは初日に参加しました。今も、震災の傷跡が残る南浜町にひまわりの種を植えることは、住んでいた方のためになるのだろうかと始めは戸惑いがありました。

しかし、希望の象徴として強くて美しいひまわりが咲くことが、現地の人だけでなく日本中の心の支えになると思うようになり、一粒ずつ成長するよう気持ちを込めて作業をしました。いつか、日和山公園からの景色が向日葵色に染まることを願っています。

 

 また、仮設住宅支援では、集会所のイベント設営や仮設住宅に住む方との交流活動をしました。私が大学生ということもあり、初対面ながら自分の子供や孫のように接してくれて、逆に私自身が元気づけられました。

しかし、震災当時に家ごと流されながら奇跡的に助かった話や、物資や食料が足りていなかった話、知り合いが盗難に遭ってしまった話など多くの体験談を伺う中で、心には深い傷を負いながら生活をしていると強く感じました。辛い経験であるにもかかわらず話してくださったことに感謝すると同時に、こうしたマスコミでは伝えられないようなひとつひとつのお話を伝えていくことが今後必要だと思いました。

 

その他にも、HERO’Sでは明神町で被災したアパートの壁はがしを行い、SEEDS OF HOPEでは在宅の方の心の寄り添いを目的として、お庭再生を手伝いました。

 

今回のプログラムで学んだことは、支援には様々なカタチがあるということです。特に、め組ん家での夕食後、長期メンバー・短期メンバー関係なくこれからの支援について話し合ったことは、ボランティア活動の意義を真剣に考えるきっかけとなりました。

昨年経験したボランティアでは、瓦礫撤去などの体力作業が主でしたが、今回は被災地に住んでいる方々に寄り添う活動が多かったように感じます。被災した住宅整備などが完全に終わった訳ではありませんが、復旧から復興に向かっているのを実感しました。だからこそ、今後は精神面で支える活動や、将来につながる活動が必要となってくると思います。

 

 大阪に帰ってきて1週間が経ち、私がこれからしようと思うことは「伝える」ことです。家族や友人に自分の体験を話すことで、誰かの行動のきっかけになれたらと思います。

私は、め組の一員として活動ができたことを本当に嬉しく思っています。短い間でしたが、ありがとうございました。また宮城に帰ってきて、一緒に活動がしたいです。

 Youth35期 えみり