こんにちは、アフガニスタンの子供達にレインボーマフラーを届ける運び屋サムライになりましたミナです。

今回はパスポートもなく勢いだけで申し込んだ見ず知らずの私を受け入れて頂き本当にありがとうございました。
関わった全ての皆さんに心から感謝します。
報告にあたって、これを誰かの体験ではなく私の体験として話せる事を嬉しく思います。

私がアフガンに行った理由の一つに、生きている実感を感じかったという事があると思います。
日本に生まれて何不自由なく暮らしているけど何かが足りない、その何かが知りたくてふらっとアフガンまで行ってしまいました(勝手な動機ですみません)。
行ってみたらアフガンの人々はみんな一生懸命生きている事がひしひしと伝わってきました。
「生きるために生きている」、まさにそんな感じでした。
話すことが沢山ありすぎてすべてを伝えるのは無理だと思いますが、6日間の行動を振り返ってできるだけの事を話そうと思います。

10/1、アフガンに到着し、コーディネーターのマリックと合流しました。
初めて見るカブール市内の光景(戦後の日本と似ているそうです)は映画のようで衝撃的でした。
前回マフラーを渡したテント村へ行き、追加のマフラーと毛布を渡す事を伝えました。
私達を見るとすぐに子供達が駆け寄ってきて笑顔で迎えてくれました。
子供達の笑顔は写真で見ていた以上にかわいくて、私もニコニコしていました
みんな元気で人なつっこいのです。

10/2、午前中に地雷や病気で障害を持つ人の為の病院を見学。
義足を作る人、義足でリハビリをする人達がいました
。この病院の特徴は、働いている人もほとんど皆障害を持っている事でした。
義足やリハビリは無料で提供されると聞いて、道路の真ん中で物乞いをしている足を失った人達はなぜ病院に来ないのか不思議でした。
理由として、物乞いに足の不自由さを利用する事もありますが、もう一つ重要なのは、リハビリの間は収入源がなくなるので生活できないという事でした。
つまり向こうの人にとって無料とはゼロではなくマイナスなのです。
無料でリハビリ+生活費で初めてゼロになるのだと知りました。
学校の教育費も無料なのに、街は働く子供達で溢れているのも同じ理由からでした。

10/3、AWOAの神さん、地球村の羽鹿さんの協力の下、テント村の人達に一家族当たり2本のマフラーと1枚の毛布を配布。
日本の皆さんが心を込めて編んだマフラーを直接子供達の首に1本1本かけて渡すことができてとても幸せな役目でした。
各家族が順番に物資を受け取り、万事順調に進んでいましたが、突然残った物資をめがけて人々の群集が押し寄せてきて、あと3家族という所でやむを得ず引き上げました。
羽鹿さん達はこれでも随分うまく行った方だとおっしゃっていました。
渡せなかった家族の分は後日長老を通じて渡せたので、当初の目的は果たすことができたと思います。
午後は別の場所にある小さなテント村に行きました。
ここでも小さな子供が笑顔でゾロゾロと出て来ました。アフガンは子供が多く10人兄弟なんて珍しくないみたいです。
ここは20家族くらいで混乱も起きないとの事で後日物資を配りました。
それから帰還難民の住む工場跡にも行きました。
建物は崩れている上にボコボコと銃の跡がありひどい状況でしたが、壁がある分テントよりましだそうです。
アフガンの治安が安定してきたため、国外の難民が続々と帰国している一方で、アフガン側の受け入れる体制が整っていないのが現状でした。

10/4、比較的貧しい家の子供が通う学校を見学しました。
学校に通えるだけでもまだましですが、地面は土がむき出し、屋根と壁はテントでできており、トイレは全学年で1つと決して条件が良いとは言えません。
テントは一部穴があいていて、授業の見学中に隣の教室の女の子と穴から手を振り合って遊びました。
隣の教室の声はつつぬけです。
冬は地面が冷えて雪が降れば授業どころではないでしょう。
タリバン政権崩壊後ようやく女子も教育を受けることができるようになりましたが、学年はまだ下の方だそうです。
校長先生曰く、今必要なのは設備面と近代に沿った教育(今でも古い教科書が使われている)とそれを教える教師だそうです。
この日はお昼に街を歩いたのですが、たまたまマルさんが話しかけた学校帰りの女の子の家におじゃまする事になりました。
そこはちゃんとした一戸建てで、その子は今から別の英語の学校に行くとの事で比較的裕福と思われました。
カブールに住む人々の境遇は様々です。

10/5、OMARという団体の地雷撤去現場を見学しました。
今日までに金属探知機が感知した87,885個の破片のうち、地雷の数は32個だそうで本当に地道な作業です。
常に危険と隣り合わせの作業ですが、作業員の方は仕事嫌になりませんかと質問されて「NO、これが私の仕事です」と信念を持って仕事をされていて、その潔さに感動しました。
この日は、デマザンク地区と呼ばれる工場跡の人々と、共同通信の安井さんが支援しているサンダル工場跡に住む人々に毛布を配り、マリックが支援しているいくつかの家族の所にも配りました。
中にはあらかじめ支援用の名簿があったり「今日は何を持ってきてくれたの?」と言われたり、支援され慣れていると感じる場所もありました。
アフガンに実際行ってみて初めて支援の難しさを知りました。

10/6、AWOA(アジア戦災孤児救済センター)を訪ね、戦争で片親或いは両親を亡くした子供のストレスケアをされている生井先生の往診について行きました。
多くの子は親戚の家に預けられていたので、いとこも含めてマフラーを渡しました。
オーラが沈んでいて笑わない子や、昼間は友達とはしゃいでいても夜になると情緒不安定になったり眠れなかったりする子もいるそうです。
往診の間私達は断りなく写真を撮ることができませんでした、というのもフラッシュで襲撃を思い出す子供がいるからです。
肉屋の前を通ると半狂乱になる子もいるそうです、両親が肉片となり飛び散るのを見たからです。
子供達は小さな体で大きな心の傷を抱えていました。
生井先生は「戦争をなくすシステムを本気で考える事に今後の人生を捧げる」とおっしゃっていました。
確かにストレスケアや支援は病気で例えるなら対症療法のようなもので、平和な世界を実現しなければ根本的な解決にはなりません。
私にもできる事があると信じて今後も色々な問題に対してアンテナを張っていようと思います。