□ 2003年9月29日に羽田空港に沖縄からひらり、名古屋からマルちゃん、豊田からくりりん、広島からまなぶ、石川からあやか、熊本からみな、そして茅ケ崎からKosekiの計7人が今回のアフガンニスタン行きメンバーが集る。
羽田空港から関西空港を経由してドバイへ約10時間のフライト、そしてドバイで一泊して二時間の飛行でアフガニスタンに入る。
□ アフガニスタン滞在1日目
アフガニスタンのカーブル空港に着く。
第一印象は、見渡す限り茶色であり、何もない。砂煙もすごい。
空港内の建物もいたるところ崩れていて人もごった返している。
宿舎に行く途中、道路がデコボコだが、それに反して車がいっぱいである。
2車線くらいの道を3車線で走り、スピードもがんがんとばしていた。車に酔った。気持ち悪い。
また、沿道の建物はほとんど崩れていた。
ニュースの映像でみた、光景の中に自分がいるのが不思議だった。
宿舎に荷物をおいてから。
前回、てんつくマンが訪ねたテント村に行く。
子供たちが「写真をとってくれ」と寄ってきて、そのパワーに圧倒される。
でも、みんな目がきらきらしていて、笑っている。
夜、宿舎に帰ってから、明日以降の打ち合わせをする。
問題は渡すマフラーの数について、どうすか。
すべての子供たちに渡したい。でも、数は限られている。前回は取り合いになってしまった。
結局、一家族に2枚のマフラーと1枚の毛布を渡すことになった。
物を渡すこと、援助することの難しさを痛感する。
□ アフガニスタン滞在2日目
鼻ずまりで目をさます。ホコリのせいかな。以外に寒い。
午前中、国営で無料で義手義足を提供しリハビリも行なっている施設を見学に行く。
お医者さんや義手義足をつくる技工士の人が働いていた。
そして、お医者さんの多くも義手義足の人が多い。
まず、義足の作成工程を見学する。
地雷で足をなくした人と同じくらいポリオという病気で足がダメになって、義足をつける人たちがいる。
病気の場合、内戦などのために、ワクチン不足が原因で広まっている、地雷による被害者はアフガニスタンの100人に5人の割合で、又病気も含めると障害をもった人々はこの国の10%にあたり、圧倒的に一般市民が多い。
おなじ敷地内に義足をつけて、歩けるようにリハビリしている施設もある。
昼食後、またテント村に行き、マフラーを渡す数について打ち合わせをする。
前回きたときより、20組くらいテント村の家族が増えているそうだ。
マルちゃんとマリックが熱心にテント村の長老たちと話してくれているが、膠着状態なのが、言葉がわからなくても雰囲気で伝わってくる。
自分のなかでも意見を求められても、まとまらない。
ただ、「自分たちは最善を尽くすが限界がある。」と言うのが精一杯だった。
話し合いの結果。今回は前回出したリストの家族の分だけ渡すことになる。
□ アフガニスタン滞在3日目
今日はテント村でのマフラーと毛布の配布を行なう。
マフラーを車に積み出発する。
毛布を載せたトラックもマリックの手配どおり現地に到着する。
マリックがチケットを渡していて、一人ずつテントから離れた丘のうえで、そのチケットをマフラーと毛布を配るようにした。
一度に人が来ると混乱するからだ。
自分は最初、毛布を配っていた。
子供たちの笑顔がたまらない。
老人が自分の手を握り「タシャクール(ありがとう)」と何度も言った時、胸が熱くなった。
作業の途中でいろいろな想いがこみ上げてきた。
てんつくマンがアフガニスタンに1キロメートルのレインボーマフラーを届けると言ったこと。
そして、倉ちゃんが編み始め、それが、日本全国の多くの人にひろがり、沖縄でレインボーマフラーが1キロメートル以上つながったことなど。
そして今、自分の目の前でアフガニスタンの子供たちに渡されている。
この場にいれることに感慨深い。
後、3家族で終ろうとしている時、突然、多くの人が押し寄せてきた。
チケットをもらえられなかったり、新たにテント村に来た人たちみたいだ。「車にのれ」と言う声で、みんな車にのり、撤収。
宿舎にもどってきて、みんな、呆然としていた。
特にマルちゃんは、前回からの想い入れがあり、一番ショックが大きかったみたいだ。
自分はこういうこともある程度、覚悟をしていたが、やはり目のあたりにすると、ショックだったし、むなしかった。
でも、押し寄せて来た人々も、本当に生きるために必死だから、単純に責めれなかった。
数が限られているから物理的に全員に渡すには無理である。
何か力のなさにや、むなしさを強く感じた。
ネットワーク地球村の羽鹿さんは「こういう事をいくつも乗り越えるしかない、ここでやめてしまってはいけない」と言っていた。
夜、今後のことについて7人で話し合った。
特に今日、配れなかった3家族の分や増えた家族の分についてどうするか。
もう一度テント村にいって話をしようという結果になった
□アフガニスタン4日目
今日は学校を見学した。
まず校長先生がいろいろ現状の問題点を話してくれた。
30年の内戦のせいで、先生の教育が遅れていて、現代教育、特に英語とコンピューター関連だが、それを教える先生がいない。
施設面にしても、教室は、下は地面で、天井はテントの布だった。
もう少しして、雪がふるころになると、寒さは想像以上だそうだ。
この学校は授業料は国の援助で無料だがノートや制服は自分たちで買わなければいけなかった。
かなりの負担になる。
次に、共同通信社のアフガニスタン支局長の安井さんという女性に会う。
アフガニスタンの現状をいろいろ話してくれた。
アフガニスタンはまだ暫定政権で、現状では国として完全ないことや復興したという情報のもとに、内戦を避けていた海外の難民がアフガニスタン、特にカーブルにもどって来ている。
ただ、当初は政府が帰ってきた難民に家や仕事を世話するということだが、実際、少しのお金とテントの支給だけということが多い。
また、干ばつのせいで、地方の農業が成り立たなくなり、カブールに仕事を求めてくる国内難民も増えている。
宿舎にもどってから、最初の混乱の起きたテント村にくりりんとマルちゃんとマリックが話に行くことになった。
マリックはしばらく時間を置いた方がいいと言ったが、滞在時間も限られているので、今日、行くしかなかった。
しばらくして、3人が帰ってくる。
話を聞くと、予想よりいい結果だった。
長老は昨日の混乱は自分たちのせいだと、謝ってくれた。
そして、マフラーと毛布の配布に心から感謝しているとの事だった。
渡せなかった3家族分についても後日渡す機会をもうけてくれる。
ただ、増えた家族については予想以上に増えていたので、今回は渡すのは見送った。
□アフガニスタン滞在5日目
今日は地雷の撤去作業を見に行く。
カブールから車でわずか1時間走った山の中腹あたりのだった。
金属探知機で探し、反応したところをナイフみたいな用具でゆっくり掘り出していく作業は気が遠くなるほど地道だ。
実際に埋められている地雷もみた。
地雷とは、卑劣で残虐な武器だと実感した。
昼から、共同通信社の安井さんが支援している崩れた工場に住んでいる避難民のところに毛布を配りにいく。
安井さんが仕切ってくれたのと、外からは入れないところなので、混乱もなく渡すことができた。
渡し終わった後、敷地内にある教室にいく。
同じ非難民の中にいる先生が子供たちに教えている。
子供達の数人が1人ずつ、歌を歌ってくれた。
歌詞はもちろんわからないが、まさに天使の歌声だった。
安井さんの話では、この工場の持ち主から20日後に立ち退けと言ってきている。
これから迎える冬の寒さを考えると恐怖だそうだ。
次に、小さなテント村に毛布を配りに行く。
ここは道路のそばにあったので最後の方は他から毛布を求めて人がきて混乱になる。
すぐに逃げるように立ち去る。むなしい。
□アフガニスタン滞在6日目
今日はアフガニスタン戦災孤児のストレスケア支援をしているAWOAというところに行く。
ここの生井先生の話を聞く。
先生は59歳で話し方もおだやかで、時折、ユーモアを交えとても和やかに話をしてくれた。
戦災孤児たちは目の前で親を亡くしたストレスで心のトラウマだけでなく身体も病んでいる子供もいる。
今回、診察に回るのに同行させてもらい。
その際、マフラーを配らしてもらうことになった。
生井先生はマフラーを配ることに、喜んでくれ「戦災孤児でストレスをもった子供たちは、誰かが、応援してくれる、見ていてくれるのことが励みになる」言ってくれた。
訪ねたところは、丘の中腹から上で、すごく険しい道を歩き。数家族を訪ねた。まず生井先生が診察して、、指示でマフラーを渡していく。
先生は優しく大きく子供を包んでいた。
やはりストレスのためか表情が暗い子もいる。
でも、マフラーを渡すと喜んでくれた。
帰るとき、子供たちが、マフラーして手を振って見送ってくれた。
クリニックにもどり、昼食を取りながら、いろいろな話を聞いた。
今のアフガニスタンは日本の終戦当時に似ているが、いまだに各地で戦争、内戦は起こっている。
そして今後は子供たちにストレス・ケアを施した後は、子供たちが安心して生活していける場所(自給自足の出来る農園)の開設を行なうということだった。
また、アフガニスタンの人たちは日本人に対して敬意を払っている。
戦後、日本が先進国として、復興したことは、同じアジアの国として、励みになるそうだ。
そういえば、ここに来て現地の人は自分たち日本人に、とても親切だった。
最後に先生は、子供たちを診察していると、いかなる理由があろうとも戦争はおこしてはいけないという力がわいてくると言っていたのが、一番印象に残った。
そして最初のテント村にもどり、子供たちと触れ合った後、少しはなれた場所で混乱で渡せなかった3家族にマフラーと毛布を渡しすことができた。
テント村を離れるときは、すごく、いとおしかった。
宿舎にもどる途中、道ばたで働いている子供たちに残ったマフラーを配って回った。
そして、日本から持ってきた、800本近いレインボーマフラーをすべて配ることができた。
後半、時間的に無理かなと思ったが自分たちの手で配ることができて、うれしかった。
□アフガニスタン滞在7日目
今日、アフガニスタンを去る日。
本当にあっという間の一週間の滞在だった。
身体的にも精神的にもきつい部分もあった。
ここにきて、自分は何を感じたのだろうか、何を得たのだろうか、何か自分の中で変わるものがあったのだろうか。
今はなかなか、言葉にできない。
これから日本に帰ってからも考え続けたい。
この、1週間、いろんな物を体験し、感じた。
日常じゃ経験できないものを得た。
アフガニスタンという国も自分にとってすごく、身近になった。
また、絶対にここにもどりたい。
最後にアフガニスタンに来ることができたこと、ひとりではなく、すばらしい7人の仲間、現地出会った人々、子供たちに、そして無事帰ってきたことに感謝します。(以上)
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